一般ユーザーの姿

今日は驚くべきwindowsの一般ユーザーの話をいろいろしいれることができた。
一般ユーザーっていっても、最近オークションにはまりはじめたどこかのお母さんまで含めた一般消費者ユーザーではなく、会社の業務でwindowsを使っているユーザーのことであることに注意。

プリンタが設定できない
プリンタは誰かが設定してくれるものであると思っている
ログアウトって何?
ログイン、ログアウトの概念を知らない
Internet Explorerって何?
あいいぃ、なにそれ?ブラウザ、おいしいの?え?インターネットのこと?はぁ?
PDFとワードの区別がつかない
PDFとワード文書が同じものだと思っている。全部、文書である。セキュリティがかかっていてコピーできないPDFがあると、コピーできないことに驚く。ちなみにエクセルは罫線がついてるところだけ他と違う。


うはははは、こりゃひどいや、と笑いました。ええ。最初に聞いたときにはそう思いました。
でも、しばらくして「実はそういう人たちのほうが正しいんじゃないのか」という気がしてきた。もうそろそろ、その人達でも使えるようなものが出来てていいんじゃないの?なんでそんな不便なもので世の中動いてんの?という気持ちだ。

プリンタの設定なんかは、ネットワーク経由だろーが、ケーブル直さしだろーが、PCにプリンタつながっていてプリンタ側の識別子さえ判別できれば、ドライバを自動的にセットアップして使える状態にすることはできるはずだ。どーせ世の中のPCのほとんどはインターネットにつながってるんだ。ドライバくらい勝手にダウンロードできるだろ。

ログアウトの概念だってそうで、ほぼ個人が一台ずつPCを使う今ならスイッチいれたら途端に起動してくれてもいいじゃないか。本人確認のための認証だけあればいい。システムを保護するための、いわゆる管理者権限とユーザー権限の分離くらいはやってもいい。でも管理者権限を得るためにいちいちログアウトさせたりするのは、なんか変だ。もともとシステム保護のための権限の分離なんだがら、ユーザーの概念と切り離して柔軟に切りかえられるほうが便利じゃないのか?つーか、ファイル消されたくらいで簡単にOSが壊れたり、変な実行ファイルしこまれたくらいでウィルスに感染するなよ。なんとかしろ。

ユーザーが使いたいのは「インターネット」なのだ。綺麗に表示されてリンクがたどれれば、それで十分。そんなシンプルなことをやるのにいろんなソフトは必要ない。一個あればよくて、それはすなわち「インターネット」だ。ユーザーからはそう見えるべきだ。携帯の機種がどんなに増えようと、ユーザーは携帯にてんこもりにされたいろんな機能を使うわけじゃない。要は「電話」ができればそれでいいのだ。だからみんな使えてる。シンプルな「インターネット」だけはみんな同じようにできさえすれば、こんな混沌としたブラウザ泥沼状態*1にはなってないんじゃないの?

文書作成にいろんなフォーマットやいろんなソフトがあるのは不思議といえば不思議。どうせ似たような見た目の文書つくるんでしょ?同じように見えるんでしょ?じゃー同じように使えるようにしようよ。PDFがセキュリティロックでコピーできないのはしょうがないけど、それならその部分は何故コピーできないのか、っていうことをその都度ユーザーにわかりやすく示すべきではないだろうか。



とまあ、1ソフトウェアエンジニアの立場で、自戒をこめて勢いで書きちらしてみた。いろいろ無茶な書き方になってて、自分でもさっぱり説得力がないが、パソコンは人間が使う道具である以上、こういう原点な意見を忘れてはいけないと思う。

んー結局、パソコンというのは、まだまだ枯れていない発展途上の技術の塊だから、「最低限のパソコン」というイメージを共有できないだけの話なのかもしれない。ダイナブック*2が完成して普及していたら、今とは違うコンピュータ社会がきていたのだろうか。あるいは、その未来はこれから来るのだろうか。

*1:いろんなブラウザがあって、かつそれぞれでページの見え方が違ったり、最悪特定のブラウザじゃないとまったく動作しないページとかある状態

*2:東芝製ノートパソコンでは決してない。アランケイのほう