妄想 新春編 「生きた本」というのは成立しないのか?

例によって電脳空間カウボーイズVodcast、「新春特別企画! 天才プログラマー vs Web2.0」(http://keith.weblogs.jp/cyberspace/2007/01/vs_web20_b27c.html)を見ていたら、「本は死んだ情報だから(情報更新の激しい対象については役に立ちにくい)」というセリフがでてくるんだけど、逆にその意味で「生きた本」というのは成立しないのだろうか?という妄想がおりてきた。つまり、中に書かれている情報は自動的にバージョンアップされていくんだけど、バージョンアップしても内容はある一定の形というかデザインというか意図を保つことが保証されているような「本」。もちろん媒体は紙じゃないけど、いまの「本」に期待する一貫性を同じく期待できるという意味で「本」。
この妄想の元になっているのは「ダイヤモンド・エイジ」に登場する、魔法の本 プリマー*1。現状存在するシステムで一番近いのはウィキペディアかな。でも、あんなに人手をかけてメンテナンスするのではなくてメンテナンスは自動的に行われるし、あんなに広い範囲の情報をあんなに分散して書かれているわけではなくて、それを作成した人の全体のデザインとか意図は残しつつ、古くなった情報とかだけが自然にバージョンアップされていく。そんな本。
例えば、ほげ言語バージョン1の入門書をそのシステムを使って構成したら、その言語のバージョンアップと同期して入門書もバージョンアップされていく、とか、電気器具の取説が器具のバージョンアップと同期して勝手に書き変わるとか、理科の教科書から勝手に冥王星が消えるとか、「ET」から銃が消えるとか、「2001年」が「3001年」になるとか、ファウンデーションが混沌としたり勝利したりするとか…
実現の仕組みは「作者のパーソナリティーを再現したAIが文章を自動的に編集しなおす」くらいしか思いつかないなあ。あ。なんだ。レムのパクリか。

ダイヤモンド・エイジ (海外SFノヴェルズ)

ダイヤモンド・エイジ (海外SFノヴェルズ)

*1:これは要は「も の す っ ご い教科書」なんだけど詳しくは本読んでください