「水が伝えるもの」

http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/misc/comment_misc_06.html
rucilaさんとこ(http://rucila.s43.xrea.com/memo/?date=20051022#p01)経由で、知りました。
「水は言葉を理解する」というトンデモを、学校の道徳の時間にそのまま教材として使うのが流行っているらしい。

まず,生徒に水の結晶写真を見せる。一方はきれいな樹枝状のもの,もう一方はそうではないものです。同じ水から凍らせたのに形が違うのだと説明して,何が違うのか生徒に訊いて議論させる。そのあと,きれいな結晶の方は「ありがとう」というラベルを貼って一晩おいたもので,汚い結晶の方は「ばかやろう」というラベルを貼ったものだという種明かしをする。その次に,人体の70%以上が水であることを説明し,言葉は水に影響を与えるものだから,当然人体にも影響を与える,という話に持っていく。最後に,「ありがとう」といった種類の,いい言葉を使いましょう,と締めくくる。

無茶苦茶だ。
考える力を子供から奪う洗脳機関の役割としては間違ってないのか?でも生徒たちも学校の洗脳に負けてないようで、よかったよかった。

お母さんの戦いの記録 (10/23 追記)

rucilaさんとこから辿りつけますが、学校に抗議し続けたあるお母さんの記録が、
http://doralin.blog17.fc2.com/blog-entry-1.html
から読めます。読んでて一番戦慄したのが抗議した時のそのお母さんが感じた印象、

話してて感じたのは、とにかく「何も考えてない」。 この先生も、これを使うことを許可した校長・教頭も、これを道徳の授業に使った他の先生たちも…。悪い人じゃない。どちらかというと、いわゆる「熱心な」「評判のいい」先生。(個人的に私は嫌いだったけど、悪い人ではなかった) で、これを心の底から信じているというわけでもなさそう。とにかく何も考えてないだけ。だからら表面的にちょっといいこと言ってれば深く考えずにすぐ飛びつく。こういう批判が来るとは考えてもみないのかなぁ…。

のあたり。
学校中でもいろいろあるんだろうなあとは思うけど、外部の保護者にこう見えてしまうこと、それ自体が問題な気がする。内部と外部でスムーズに意思が疎通できるチャンネルがないのが原因なんだろうな。