「普通に書ける,Rubyらしさ」っていったいなんなんだ

http://www.atmarkit.co.jp/im/carc/serial/ruby_agile03/ruby_agile03.html
にて、Matz、角谷さん、平鍋さんの対談を見た。"Rubyらしさ"とLispPythonの話。
途中、平鍋さんが「Lispは少数の原則で全てを説明しきろうとしているけど、Rubyはバランスを感じる。普通に書こうとすれば普通に書ける。自然にあるべきところに機能が適切にある」って感じのことを言ってる。この気持ちはすごく良くわかる。かなり同意。同意なんだけど、「普通」っていったいなんなんだろうなあ。それまでの言語経験からくるイメージに過ぎないんだろうか。それとも…それとも…ごにょごにょ。
にしても、誰か"Rubyらしさ","Ruby Way"とやらをもっとすっきりと言語化した人はいないのかな。いつも、それを構成するとされる断片的な性質は説明される*1けど、それがまとまったとたん"Rubyらしさ"なんて気持ち悪い名前になってしまうのはいったい何故なんだ。ユニークだから?本当に?

*1:この動画でもオープンクラスとかリフレクションとかいう言葉はでてくる